身体、皮膚、かっこいい/ヴォルフガング・ティルマンス展


国立国際美術館で開催されている「ヴォルフガング・ティルマンス展 Your Body is Yours」を見ていて、自分の中で久しぶりに湧き上がる感覚があった。展覧会はわりとたくさん見ているつもりだし、力のある作品に感動したり興奮したりということは、これまでに何度も経験している。しかし、そういうものとはまたちょっと違う、少し懐かしいとすら思えるこの感覚はいったいなんだろう。展示を見ているあいだ、ずっとその感覚は続いていた。

展示は写真が中心で、数メートルに及ぶ巨大なプリントからサービス版、コピー紙、切り抜き、雑誌やポスター、額装してあるものとしていないもの、それらが組み合わさって構成されている。その配置は、計算しているのかいないのかよく分からないが、見ていて飽きることがない。コンセプチュアルアートではないが、全体に共通する感触のようなものはあって、どれも少し艶めかしく、露骨ではない程度にセクシーだ。そして、人物写真などの合間にときおり挟まれる、まるで抽象絵画のような写真が美しい。具象の合間に挟まれることによって、より美しさが際立っているように感じる。

展示の感想をひとことで言うと「センスがいい」なのだが、この言葉を使うのは少し恥ずかしい。もっと大人っぽい言葉はないだろうか。その「センス」のことを、ちゃんと説明したほうがいいのではないか。しかし展示を追いながら自分の頭に浮かぶ言葉は、「おお、かっこいい」とか「なんか、面白い」とか、そんなのばかりだ。10代の若者じゃあるまいし、と内心苦笑しつつ、気付いた。久しぶりなのは、この感覚だ。頭ではなく身体で、皮膚で楽しんでいるような、この感じ。

たしか17歳の頃、高島屋のギャラリーに、ポップアートの展覧会を見に行った。ひとりで展覧会に行くのは、それが初めてだったのではないか。お目当てはアンディ・ウォーホルだった。あらかじめ本や雑誌などで勉強して、キャンベル・スープの作品が「大量消費社会の空虚さ」を表しているということは知っていた。あるいは、マリリンモンローの肖像画が「死」を暗示していることも。知ったかぶりで、友達相手に講釈を垂れたりもしたのではないか。だが実物を見るのは初めてだった。

少し緊張しつつ、ウォーホルの絵の前に立った。「なんか、かっこいい」と思った。頭に浮かんだ言葉はそれだけだった。え、それだけ? アートってもっと、うーむ、と言いながら腕組みをして深く感じ入るような、そういうものなんじゃないの? そう思い、もっとじっくり見ようと努力するのだけれど、シルクスクリーンが中心の展示は、あっという間に見終わってしまった。なにか腑に落ちない。アメリカを代表するアーティストの展覧会だ。見落とした部分がたくさんあるのではないか。「かっこいい」だけじゃない、もっと深い意味があるんじゃないか。

17歳にとっては大金の、2500円の図録を買って帰った。夜、自室に籠もってパラパラとめくると、解説にはやはり「大量消費社会」とか「死を暗示するイメージ」のことが書かれていた。図録はザラッとした質感の紙で、印刷の程度もあまり良くなかったが、写真を眺めていると、昼間に見た展示の光景が少しずつ思い出されてきた。実際に見たウォーホルの作品は、もっとインクの色が鮮やかだった。作品の余白は眩しいような白で、つやつやした額のガラスにライトが反射していて、それがちょっとだけ色っぽかった。かっこよかった。初めて見たウォーホルは、すごくかっこよかった。

ティルマンス展を見終わり、絵葉書を1枚だけ買う。100円の割に、印刷の質も高くて、とても綺麗だ。でも展覧会で見たこの作品は、もっともっと美しく、センスが良く、かっこよかった。



「牛もの」シリーズ2作目。
大都会というテーマで、ロシア・アバンギャルド風の色使いなのは、幼少期に見たアニメ「未来少年コナン」の影響ではないかと、いま思った。