軽さではなく軽やかさ



※ 写真はフィオナ・タン作品集「フィオナ・タン まなざしの詩学」より

この記事を書くまで、「BLOG」の最新エントリがあいちトリエンナーレの話で、「INFO」の最新が名古屋クリエイターズマーケットの報告と、最近すっかり名古屋づいている。初見の方には名古屋人だと思われるかもしれないが、京都生まれ京都育ち、公家そうな奴はだいたい友達の私です。よろしくお願いします。

実際のところ、郊外のニュータウン出身のせいか、それほど京都らしい京都を知っているわけでもない。他府県の人から「京都人っぽい」と言われると、なんだか申し訳ないような気持ちになる。冗談で「先祖が公家なので、働くのが苦手なんですよ」と言ったら、真に受けられたこともあった。いや、あんまり働かないのは本当ですけど。

先祖や出身地を大事にすべきなのは分かっているつもりだが、一方で、そんなんどうでもええがな、大事なのは今やろ今、という気持ちも少なからずある。そう、大事なのは先祖ではなく、今の私が公家であるということだ。いや、そういうことじゃなくて。

例えばブルーノ・マーズの音楽や、フィオナ・タンの作品などを見ていて感じるのは、ルーツを大切にしながらも、それに縛られないという軽やかさだ。これはひとつの理想形だなあと思う。というわけで、これからは軽やかな公家を目指します。おじゃる丸みたいな感じ。

→ 2015年3月17日 ふわふわと漂いながら、芯のあるものを/フィオナ・タン

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