須賀敦子の「トリエステの坂道」を読み終えて


 須賀敦子の「トリエステの坂道」を読み終えて、その美しい文体に惚れ惚れし、自分もこんな文章が書きたい、どうしたら書けるのだろうと考え、おそらくそれは書き手の人生そのものの問題なのだという結論に達し、諦める。諦めるのだけれど、やっぱり憧れではあるのだ。読む人にこう思われたい、こう読ませたいというような狙いがまったく感じられず、うっとりと自分に酔うこともしない。自分の過ごした時代や風景、関わった人々に、ただ寄り添うような文体。憧れる。

 須賀さんは1960年代にイタリア人と結婚し、ミラノに暮らす。この本には、おもにその頃の話が書かれている。あらためて知ったのは、イタリアに巣食う、根深い貧しさについてだ。いや、イタリアに貧しい地域があることはなんとなく知っていたけれど、その正体というか、数百年前から積もり続けたかのような、抜け出せる気配の見えない貧しさ。労働組合が強すぎて若者のアルバイト先がないという話などは、早くに成熟してしまった国ならではの貧しさだと感じる。

 須賀さんの夫の実家も、そうした貧しさに苦しめられた家庭だった。夫の父であるルイージ氏は、結核で子供を2人も亡くす不幸にも見舞われるなか、上司と喧嘩して左遷されたり、計算のできない娼婦のへそくりの世話をしたりと、家族をまったくかえりみない日々を送る。結婚する頃にはすでに他界していて会うことのなかった義理の父、ルイージ氏の在りし日を、須賀さんは想像する。

 夏になると空き地は草におおわれたが、このあたりに出没する得体の知れない人間たちが自然につけてしまった細い道を、火をつけてない細い葉巻たばこのトスカーナを口にくわえたルイージ氏は、脱いだ制服の上着を肩にかけ、両手をポケットにいれたまま、足早に歩いていく。
 俺の一生はいったいなんだったんだろう。淋しいルイージ氏は歩きながら考える。

この、ろくでなしの男にただ寄り添っているような文章。やっぱり憧れるのだ。