文章を書き続けています


例えばこのサイトや作品ファイルに添える自己紹介の文章、いわゆる「プロフィール」を、これまでに何度も書き直している。時期によって、ちょっとかっこつけてたり、抽象的だったり、逆に具体的過ぎたりして、なんかしっくりこないな、と思いはじめるとまた書き直す。そしてここ2年ぐらい、使っているのがこれ。

大学卒業後、東京にてIT系の会社に勤務する傍ら、イラストレーション青山塾で絵の基礎を学ぶ。退職後京都に戻り、フリーでWeb関係の仕事をしながら、絵を描き、文章を書き続けています。

掲載先の都合によって、もうちょっと長くしたり略歴を添えたりはあるけれど、基本的にはこんな感じ。最後の「絵を描き、文章を書き続けています」は必ず書くようにしている。

この「文章を書き続けています」という一文について、ふと思う。これ、それまでの話の流れからすると、ちょっと唐突なのではないか。「IT系の会社 → フリーでwebの仕事」「青山塾で絵の基礎を学ぶ → 今も絵を描いている」は分かるが、最後にいきなり「文章を書き続けている」とは、どういうことだ。

もっと言うなら、文章は、ほとんどの人が書き続けているのではないか。仕事の書類だったりメールだったり、あるいはブログやtwitterやLINE、いまの時期なら年賀状。おおよそ毎日、人は文章を書いている。職業としてライターや小説家を名乗っているならともかく、そうではない自分が、わざわざ「文章を書き続けています」と言うのはなぜだろう。

もちろん、自分で理由は分かっている。恥ずかしいから言えなかっただけだ。
文章を、読んでほしいのだ。

2019年は、本作りに力を入れようと思います。今年出した「小さな声が響く部屋」と同じく、手製の小冊子になると思います。絵と文章、どちらにも力を入れた本にするつもりです。ぜひ読んでください。

能を積極的に見る


台風が近づく中、朝からロームシアターに出向き能を観劇する。「翁」と「葵上」。

「翁」は、具体的なストーリーがなく、演者が舞台上で面を付けたりする、不思議な構成。儀式的な、神に捧げる原初の能という感じだった。開演前、舞台袖から「カチカチカチ」と音がしていたのだが、後で解説を読むと、「翁」をやる時は、始まる前の楽屋から儀式を行うのだという。聞こえていた音は、石で火花を散らして身を清める時の音だったらしい。

「葵上」は、源氏物語なので話が追いやすい。タイトルは「葵上」だが、六条御息所が主役で、葵の上は出てこない。世界中の映画や演劇でちょいちょい見かけるこの構成、能でもあるんですね。

演者や囃子方の動きや所作など、なぜそういう形になったのかを想像しながら見るのが面白い。決まった型があるように見えるものも、これまで徐々に変化してきたのだろうし、これからも変わっていくのだろう。

そういう意味でも、7月に見た、能をもとにした演劇「NŌ THEATER」はたいへんに面白かった。能というものの構成・形式は、むしろ現代劇にこそ向いているのではないかと思わせるほど、違和感がなく、そのうえおしゃれな舞台だった。

何年か前から、もっと積極的に能を見よう、と思っているのだが、今年こそ見る。もう8月だけど、今年こそ。

深夜、台風が吹き荒れている。

最近の一生懸命と応援


最近はSNSのおかげで、友人知人が今どんな活動をしているのかが分かりやすくなった。だからといって、SNSを使っていない人が何もしていないかというと、そんなことはないのであって、むしろそういう人の方が面白いことをやっていたりする。何が言いたいかというと、私も最近あまりSNSを更新していませんが、元気にいろいろやってますよという話。

起きてテレビをつけると高校野球をやっている。寝ぼけた頭で、どっちも頑張れーと思いながら朝ごはんを食べる。こないだは審判が熱中症で途中交代していた。審判も頑張れー。

最近見た映画、「ファントム・スレッド」と「カメラを止めるな!」。ぜんぜんタイプの違う映画だけど、どちらも丁寧に作ってあって面白かった。特に「カメラを止めるな!」は、登場人物のことも作り手のことも、なんか応援したくなる映画だった。満員の映画館、見終わった人がほとんどみんな笑顔っていうのはいいですね。

さて、私自身の活動ですが、9月9日に、文学フリマ大阪というイベントに出展します。絵の展示ではなく文学作品の展示即売会です。文学フリマはもう20年の歴史があるらしいのですが、初めての出展。今年の1月に京都で開催されたものを見に行って、その商売っ気のないピュアな雰囲気に心惹かれたのです。なので私も一生懸命、ピュアな本を作って持っていこうと思います。詳細はおって。