文章を書く道具について


数カ月前に買ったパソコンがあっという間に壊れた。交換用の部品は無料でもらえたものの、修理をする余裕がなく、この3週間ほどは古い方のパソコンを使っている。さすがに色々遅い。プログラムやWebデザインの仕事をする際にはその遅さが辛い時もあるのだが、例えばこうしたブログの文章を書くときには、思いのほかしっくりくる。あれ、こんなに書きやすかったっけ、と驚いている。

手に馴染んでいる、ということなのだろう。いわゆる昭和の文豪みたいな人達は、執筆の際にはこの万年筆を使う、と決めていた人が多いと聞いた。パソコンも、文章を書く、ということに限って言えば同じで、このキーボードとこのディスプレイが、手に馴染んでいる。いたずらに最新機種に変えたからといって、文章が良くなるわけではない。

ふと思ったことだが、万年筆が出てくる前は、ペン先とか筆を、いちいちインクに付けていたわけで、そのころの文豪(?)は、みんなそうやって書いていたはずだ。万年筆という新しい入力ツールが出て来た時には、どういう心境だったか。心中複雑だったのではないか。「インクをあらかじめ入れておくなど言語道断」などと議論が巻き起こり、抵抗なく万年筆を受け入れたベテラン作家には、「アイツは日和った」と罵倒が浴びせられたのかもしれない。万年筆の世代、と呼ばれたりもしただろう。そのあとボールペン主義、ワープロの季節、ポストモダン7色鉛筆などを経て、現在に至る。

そして最近では、論文をスマホで書く大学生がいる、という話も聞く。スマホで書いた論文は、改行や段落分けがほとんどされていなかったりするので、印刷された原稿を読んでもそれと分かるのだという。その話を聞いた時は、それはひどいと呆れたものだったが、それでもその人にとって、一番使い慣れている万年筆がスマホならば、それでよいのかもしれない。頭のなかの考えや思いを、体を使って外に出す。それに適した道具がスマホならば、そのうちそこから面白いものも出てくるだろう。僕が知らないだけで、もう出て来ているのかもしれない。