山が見える


台所の流し台の前に立ち、窓の外を見やると、遠くのマンションの間から少しだけ山が見える。何という山かは知らないが、いかにも山らしい形をした山だ。立ち位置を少しずらすともう見えない。別に夕焼け空に感動したりはしないし、山に対する信仰心もない。ただ毎日、夕方の洗い物が終わってふと顔を上げると窓の外に少しだけ山が見えて、「あ、山だ」と思う。

170914

だいたい3000円


夕方、晩御飯を食べに近所の店へ。通り道にあるレコード屋「クレモナ」でセールをやっているというので立ち寄る。最近はレコードブームらしく、市場の相場が全体的に上がっている気がするが、この店はわりと安かった。僕はルー・リードと山下達郎とレピッシュとピストルズを、同居人はオペラとクラシックの室内楽を購入。7枚で3000円弱。安い。

晩御飯の店は閉まっていた。この店、2回に1回は閉まっている。仕方ないので他の店へ。初めて入る店だがどれもおいしかった。飲んで食って2人で3000円強。安い。というより少食。

休日は、何をやってもだいたい3000円。

世界の片隅で叫ぶブタ


最近、策略とか作戦とかターゲットとか、そういうものにとらわれない絵を描きたいと思うようになってきました。過去の自分の作品に策略めいたものが垣間見えると、なにか小賢しく感じてしまいます。なるべくまっすぐに、自分が本当にいいと思えるものだけを作りなさい、若かりし日の自分にそんなことを言いたくなります。

その一方で、これは昔からですが、地位と名声と莫大な富が欲しいとも思っています。物心ついてからずっと欲しているにも関わらず、未だにどれも手に入っていません。なんとか手に入れたくてもがいていると、作品が策略めいてきます。それはいけない。作品に関してはまっすぐに、そしてその結果として、地位と名声と莫大な富を手中に!

我ながらずいぶん虫のいい話です。自分のやりたいことだけやって社会的に成功したいだなんて。というかそれ、本当に自分が欲しかったものなのでしょうか。それもあやふやになってきました。

思い出すのは、願いを叶えてくれるという神の龍を前にして「ギャルのパンティーおくれ!」と叫んだブタのことです。すけべで怠け者で根性無しのどうしようもない奴でしたが、自分の欲しいものは誰よりも分かっていた。思えば長い物語の中で、自分が欲しいものを手に入れられたのは、あのブタだけかもしれません。自分も彼に倣うべき、かどうか、考えているところです。