ふわふわと漂いながら、芯のあるものを/フィオナ・タン


日曜、国立国際美術館で「フィオナ・タン まなざしの詩学」を見る。

会場に入って最初に見た作品は、フィオナ・タン自身の出自をテーマにした60分のドキュメンタリーだった。複雑な出自を持つ彼女には、自分は何人だという感覚や、ここが自分の場所だと思える国がない。世界中を旅し、散らばった一族に会い、話を聞きながら自分のルーツを探っていく。そんな内容だったのだが、見ているうちに、実は彼女自身、答えはどこにも無い、ということが分かっているのではないかと思った。そして、それを特に悲観的に捉えてはいないようにも見えた。

自分の属する場所が分からない。そんな、ふわふわと漂ったような状況のままで、アイデンティティを探ろうとする作品が後に続く。どれもムードは暗くなく、ウィットに富んでいる。それはとても強く、芯のある表現だった。「ルーツがしっかりしている」「地に足が着いている」ものだけが優れているわけではない。そんなものがなくても、優れた作品はできるのだと、展示が語っているように思えた。

展示を見終わり時間が経って、僭越ながら、自分が目指すところもそれなのではないかと思う。ふわふわと漂いながら、芯のあるものを。