深夜の散歩


2日前、晩ごはんを食べ過ぎて、深夜になってもお腹がいっぱいだったため、散歩に行くことにした。23時過ぎ、人影はまばらになり、車も少なくなって歩きやすい。どんどんと西へ向かう。妙に洒落てるカフェや随分前に閉店した占いの廃墟、営業中だが客はおらず、店主が帳簿をつけているバーなどを通り過ぎる。
24時過ぎ、妙心寺に辿り着いた。大学生の頃はよく境内を通ったものだ。中に入ると真っ暗で流石に怖く、引き返す。来た道を戻り、25時過ぎ、家に到着。疲れたが、腹ごなしにちょうど良い運動になった。

翌日の12時過ぎ、膝が痛くなる。24時、痛い。翌々日の24時でもまだ痛い。痛いよー。

ワールドカップが終わってずいぶん経つ


ワールドカップが終わってしまった。決勝、フランスのエムバペが3点も取ったのに負けてしまったことは残念だったが、大変に楽しい大会だった。アフリカのチームの応援団の陽気さや、アルゼンチンサポーターの荒々しさなどは、これぞ国際大会だなあ、と思わせるものだった。東京オリンピックでは無かったからね、こういうの。

しかしこのワールドカップ、最初から楽しみにしていたかというと全然そんなことはなくて、日本が初戦に勝つまでは、知ってる選手は長友と吉田麻也だけだった。あと久保くん。それがまあ、いまやすっかりサッカー通気取りで、日本チームの戦略にまで口を出す感じになっているのは、いやあ、俺も熱しやすく冷めやすい、日本人の典型だなあ。次のワールドカップの頃には、また知ってる選手は長友と吉田麻也だけになっていることだろう。あと久保くん。

宮沢章夫さんが亡くなった


宮沢章夫さんが亡くなった。驚いたし、65歳という年齢も早すぎると思ったが、まだ実感として受け止められていないというのが正直なところだ。そういえば、2年前に母が亡くなった時もそうだった。自分にとって、人の死というのはそういうものなのかもしれない。

宮沢さんのことは、著作「彼岸からの言葉」が出た時から好きだった。といっても、京都の内気な中学生だった自分にとって、宮沢さんが東京でやっていた演劇を見に行くのは遠すぎて、しばらくは単行本を買って読むだけのファンだった。就職して東京に出た自分が初めて見た演劇は「トーキョー・ボディ」で、濃厚すぎて頭がクラクラし、帰り道の電車を間違えてしまった。

宮沢さんのサイト「u-ench.com」で、「”■”RINGS」というリンク集があった。メンバーを募集中なのだという。思い切って「いちファンなのですが、メンバーに加えてもらえないでしょうか」とメールしたら、次の日「”■”RINGS」に自分のサイトが加わっていて、狂喜乱舞したことを覚えている。いや、乱舞はしていないが、立ち上がってガッツポーズをした。インターネットに繋がって以来、一番嬉しい出来事だった。
SNSが台頭し、サイトを更新する人が減っていく中、今もこのサイトを細々と続けているのは、この思い出があるからだ。それから二度お会いする機会に恵まれ、少し話もした。優しい人だった。

宮沢さんのツイッターの最後のつぶやきはこうだ。

それにしても眠い。さよなら。宮沢章夫

ああ、最後までかっこいいね。さよなら。ご冥福をお祈りします。