伊勢神宮


伊勢神宮に行って来た。今まで自分が「日本」だと思っていたものの多くは、「京都」のことだったのではないかと感じる。生まれ育った場所によって日本観が違うのは当然のこととしても、ずいぶんと京都よりだったのだな、僕は。ニュータウン育ちで、そんなに京都文化に触れていたわけでもないのだけれど。

文章を書く道具について


数カ月前に買ったパソコンがあっという間に壊れた。交換用の部品は無料でもらえたものの、修理をする余裕がなく、この3週間ほどは古い方のパソコンを使っている。さすがに色々遅い。プログラムやWebデザインの仕事をする際にはその遅さが辛い時もあるのだが、例えばこうしたブログの文章を書くときには、思いのほかしっくりくる。あれ、こんなに書きやすかったっけ、と驚いている。

手に馴染んでいる、ということなのだろう。いわゆる昭和の文豪みたいな人達は、執筆の際にはこの万年筆を使う、と決めていた人が多いと聞いた。パソコンも、文章を書く、ということに限って言えば同じで、このキーボードとこのディスプレイが、手に馴染んでいる。いたずらに最新機種に変えたからといって、文章が良くなるわけではない。

ふと思ったことだが、万年筆が出てくる前は、ペン先とか筆を、いちいちインクに付けていたわけで、そのころの文豪(?)は、みんなそうやって書いていたはずだ。万年筆という新しい入力ツールが出て来た時には、どういう心境だったか。心中複雑だったのではないか。「インクをあらかじめ入れておくなど言語道断」などと議論が巻き起こり、抵抗なく万年筆を受け入れたベテラン作家には、「アイツは日和った」と罵倒が浴びせられたのかもしれない。万年筆の世代、と呼ばれたりもしただろう。そのあとボールペン主義、ワープロの季節、ポストモダン7色鉛筆などを経て、現在に至る。

そして最近では、論文をスマホで書く大学生がいる、という話も聞く。スマホで書いた論文は、改行や段落分けがほとんどされていなかったりするので、印刷された原稿を読んでもそれと分かるのだという。その話を聞いた時は、それはひどいと呆れたものだったが、それでもその人にとって、一番使い慣れている万年筆がスマホならば、それでよいのかもしれない。頭のなかの考えや思いを、体を使って外に出す。それに適した道具がスマホならば、そのうちそこから面白いものも出てくるだろう。僕が知らないだけで、もう出て来ているのかもしれない。

四十にして惑わず、動かず


まだ衰えを気にするほど歳をとったわけではないし、変におっさんぶって「いやあ、最近体力がね・・・」などと言うのは好きではない。それでも、もともとが体力も気力も無い上に、自制心もあまりないので、少しずつ「弱く」なってきているのは自覚している。いや、自覚しているつもりだったのだが。

最近ずっと部屋から出ず、椅子に座りっぱなしの生活なので、腰を痛めないように腹筋運動をしよう、と考えた。これまでにも、夏になると思い出したように腕立て伏せや腹筋を始め、秋には辞めるということをくり返していたのだが、それは「カッコつけ」の延長であって動機が不純である。今回は違う。仕事や生活に直結した、もっと切実な運動である。なので今回は、腹筋だけでなく背筋運動もやろう、と考えた。何年ぶりだろうか。うつ伏せになって、ベットの下に足をかけ、上体を反らす。まずは軽く10回、やってみようと身を伏せた。

驚いた。ピクリとも動かない。まったく体が反らないのだ。体どころか、あごすら上げられない。「ん」と変な声は出たが、1回も動けず、静止したまま床を見つめている。自分のイメージとしては、鮮魚がまな板の上でビチビチと跳ねる感じでやりたかったのだが、この魚、完全に死んでいる。体育教師なら言うだろう。「はやく始めなさい」。いや、始めてるんです、本人としては。

それでも、なんとか10回やってみたら、というか10回やってる気持ちで静止したら、相当に疲れた。背中がしっとりと汗ばんでいる。よく頑張った。